映画の「マイノリテイ・レポート」とは直接関係の無い話です。
ちなみにトムクルーズの出演映画は好きです。

 

 

孤立感のブログ

 

私が職場の孤立感─そんなものを抱えて働いているとは、職場の人はよもやと思って働いているのかもしれませんが・・・。
でもよくよく考えてみれば、自分は、マイノリテイの障がい者の運動を、20代の頃からしているので、そもそも根っこに社会での孤立感が有り続けたのかもしれません。

 

家族持ちとの心情とおひとりさまの心情も当然違うし、昔はおひとりさまも少数派であったけれども、(昔は負け組とか、人格失格者みたいに自分言われていた。)おひとりさまも、このように増えてくると、もうマイノリテイとは言えないです。

 

さておき、普通の介護事業所で働いているわけで、なんとなく孤立の心情があるのは不思議でもないのかもしれません。

 

障がい者には大変不便な世の中

 

20代頃は、ボランテイアで車いすの人の外出介護をよくしていました。
段差のあるバスに、乗る時は、乗客の若い人に手伝ってもらい上がることはしばしばです。

 

だけれども、バスの運転手によっては、
「みんなの迷惑だから乗るな。」と乗車拒否されることもあります。

 

町の中の飲食店の対応もまちまちです。
今の時代ほど段差のない店は多くないのです。

 

店主によっては、車いすを上げるのを手伝ってくれる人もいますが、
「車いすの人はお断り。」の店も多かったと思います。

 

障がい者の人といろいろな所に行くといろいろなトラブルが発生します。
かなりスリリングな気持ちで介護していました。

 

バリアフリーな時代では無かったので、障がい者の人をおんぶして飛行機乗ったり、抱えて座席まで座らせたり(これはいまの時代も同じかもしれません。)、かなり肉体的にもハードだったです。

 

しょせん健常者だから

 

自分は障がい者ではないから、障がい者運動の世界でも浮いてしまうこともあります。
60代以上じゃないとわからないかもしれないですが、「お前は差別者」みたいな言い方をされることもあります。
しかし、差別者と反差別の2元論は違うと思います。

 

いじめでも虐待でも、だれもそういう心情を内包しているものだから、
良い人・悪い人みたいな論議には、疑問を感じます。
「いじめのない学校」みたいな表現はおかしい。
いじめはどこでも生まれるし、それを絶えず問題解決をしようとする志向性があるかが最も重要だと思うのです。

 

「あんたは健常者だから、障がい者の気持ちはわかりようが無い。」
そう言われることもあります。ひゅー。
確かにそうですよ。

 

でも、問題はそこではなく、相手のつらい気持ちを理解しようとする気持ちです。
介護業界にも善玉悪玉論があるけれど、そこは違うと思います。

 

むしろ、自分は善玉だと思っている人の方が、そういうことに無自覚な気がします。

 

今は・・・。

 

事業所が立ち上がった時は、それでも孤立感は少なかったと思います。
昔は、(この「昔は」は若い人にとっては、年寄り地味て嫌われる言葉かもしれません。)、市役所や様々な公共施設で障がい者の人と交渉したり面白かったと思います。

 

市役所や病院の先生の言われることが全てではないし、自分は生活を良くするためのサービスのひとつぐらいにしか考えていないけれど、どうしてもドクターや市役所の言うことが、全てみたいな発想が介護業界に強くて自分がなじめない原因です。

 

健康維持や生活を良くするために、病院やリハビリに行くのはわかるけれど、利用者は医療やリハビリのために生活をしているわけじゃないです。

 

こういうことを言ったり書いたりすると、「何様のつもりか。」という悪口が言われているのだろうといつも思っています。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

 

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