キャノンの説によると、動物は恐怖に反応して交感神経系の神経インパルスを発し、自身に戦うか逃げるかを差し迫るという。この反応は、脊椎動物あるいはその他の生物でストレス反応を引き起こす一般適応症候群の初期段階として後に知られるようになった。( ウィキペデイア 闘争・逃走反応 より引用。 )

 

人間は危険を感じたら、交感神経が優位になり、闘うか、逃げるか 選択を迫られるという。
思えば、中学校、高校と・・・・自分は逃げるという選択肢をとり続けていた。

 

逃げるという行為はそれなりに自分を守るために、必要な行為だが、
片方で、「意気地なし」「卑怯者」みたいな後ろめたさがつきまとう。

 

そういう後ろめたさがあって、
大学時代から自分は逃げまいと思って生きてきた。
しかし。人生の戦略というものもなく、
なしくずし的に、ずるずると同じような場所で、転機をつかむこともなく、やってきただけなのだ。

 

全体の利益のために闘うというのは、
聞こえはいいかもしれないが、「自分のため」に闘うことを放棄して、傷ついてきただけだったのだろう。

 

漫画『ベルセルク』で、YOUTUBEの解説動画が膨大にあってびっくりした。
彼(主人公は)私怨のために闘っている。
だが、私怨のために闘って悪いのだろうか?
自分が神になるために、同志たちを生贄にした人物を怨むのは当然だろう。

 

昨今、自分がものすごくみじめになってきた。
なんのために、法人を立ち上げて頑張ってきたのだろう。
なぜに今、入ったばかりの職員や研修団体に指導を受けないといけないのだろう。

 

プライドだけ高い うだつのあがらん じじいと罵られても、
今年は自分のプライドのために闘う。

 

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