この前実家に電話したら、兄夫婦はいよいよ病院で新型コロナのワクチンを接種すると言っていた。
集団接種よりも、病院の方が副反応などあった場合安心だと。
その通りだなあと思った。
一方で、元難病だったもので自分が受けたらどうなるんだろうかと一抹の不安がよぎった。

 

 

親が亡くなると実家に帰らなくなる。

 

実家には、母の49日に帰ったきりである。

 

先日、ひさびさに家に電話をした。
義理のお姉さんが電話にでてきた。
皆元気そうでホッとした。

 

母が生きていたころは、母は実家にいたわけではなく、入院していた。
それでも、月1回は実家に帰っていた。

 

母親の入院生活を支えている兄夫婦を助けなければいけないという気持ちからである。

 

自分になにができるかと考えると、入院費や介護の費用を負担することぐらいだ。

 

また、話をして母を支える心情を共有することも大切である。

 

母が元気な頃、私は糸の切れた風船だと言っていた。
家を出たららそのままどこへ行ってしまうかわからないというたとえだ。
盆と正月に日にちをずらして、年2回実家には帰っていた。

 

2012年頃ぐらいから、毎月帰るようになった。
父母が二人とも、要介護状態になったからだ。

 

それから、9年。
父母が亡くなってしまい、自分の役割も一つ無くなってしまった。
兄貴の子どもの家族も、新型コロナで、ずっと帰れなくなってしまった。

 

自分も県外ではないけれど、感染を疑い出せば、きりが無い。
しかし、それが理由では無い。親が亡くなってしまったからである。

 

親のために生きる

たま君

 

この10年は精神的につらかった。
たま君をお世話するために自分は死んではいけない・・・。
そうやってがんばっていた時代もある。

 

親より先に死んではいけない。
そういう道徳のような気持で、耐えて生きていたような気がする。

 

自分のために生きるという気持ちがないのか。
まあ 刹那に生きている割には、そういう発想もあまりない。
自分の人生の戦略もなかったから、たぶんおひとり様だ。

 

だから、サルトルではないが生きるための意味づけが必要だ。
心残りのことは、ホームページと歌にを残して・・・というくらいだ。

 

親族にはめいわくをかけたくない

 

自分の古家を売ったのも、自分のためというよりは、自分が死んだとき、処分に困るようなものを残してはいけないという気持ちが先立つ。
しかし、家が売れたおかげで、こうして家で仕事をすることに専念できている。

 

テレビで若い芸能人が、「せめて10人ぐらいは参列してほしいね。(自分の葬式に)」と言っていた。

 

それを聞いて、ハタ?と気づいた。
自分が死んだとき、葬式も別にやってほしくないが、悲しむ人間がそもそもいるんだろうか・・・と。

 

別にどういう結果であろうとも、今は全然ショックでは無い。
とにかく、今は自分のためにがんばって、少しでも老後の不安がないように、あるいは、始末をつけてくれる親族の為に小金を残せるようにしておこうと思う次第である。

 

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