医療器の営業は、
いままでの組合活動とは畑違いの業界だったが、仕事は楽しいものだった。
営業所の同僚の方々 すべていい人で、
人間関係で悩むことは皆無だった。
どこでも、人間関係のストレスがつきものなので、幸せなことだった。
ただ、本社との関係は一番嫌だった。
男は、よその県に行って、管理職を担うというのが、常だった。
自分は拒否していた。
他県に行っていたら、また別の人生があったのかもしれない。
拒否する理由は、
地元の障がい者の支援をしていて、
当時はホームヘルパー制度もほとんど発達していなかったので、仕事が終わってから、
食事介護などしていた。
ボランティアを組織していたが、イベントに集まるだけで、介護を担う人材を組織することができなかった。
何年か医療器会社に務めているうちに、
片方でNPO法人を立ち上げて事業を展開しようという話が始まった。
会社では、
10歳年下の所長さんの下で、
遠地の出張の多い仕事をこなすしかなくなってきていた。
出張も、40代になると疲労が取れず、
「土色」の顔をして、ためいきをつきつつ、働いていた。
NPO法人の立ち上げは、メンバー間の意見の違いが元で、
雰囲気が悪くなり、立ち上げる人間がいなくなってしまった。
自分は、障がい当事者団体だったので、静観していたけれど、
立ち上げる話自体がなくなりそうだったので、自分が主導しようと思った。
40歳ぐらいのころの話だ。
どなたか知りませんが、クリックありがとうございます。
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