医療器会社を辞めるまで、
実家の家族の説得で2年ぐらいかかった。安定した収入が無くなるからだ。
NPO法人なんじゃそりゃという感じ。

 

実家の父母というより、
兄貴夫婦だ。

 

会社に辞職願いを出したが、半年後までのばされた。
ともかく、15年ぐらい務めた会社を辞めた。

 

辞めた当初は、
ホームヘルパーの資格をとって、手始めに自薦ヘルパーをすることになった。
しかし、立ち上げるメンバーの組み合わせで揉めて、
また別のメンバーと立ち上げる話となった。

 

東京の支援団体の指導を受けて、
半年ぐらいで事業が軌道にのるようになった。
初めてのことだったが、すべて新しいできごとで、楽しかった。

 

しかし、楽しいのは3年ぐらいまでで、
支援の仕方を巡って、職員がたくさん辞めた。
自分も、病院に行くほどではないけれど、心が病んできて、全身疾患の難病になってしまう。

 

耐えてやり過ごしてきたが、
また、支援団体の介入により、
もうそのままではいけないような状況になり、役員を辞めるにいたる。

 

役員もすべて変わり、理念も変わり、
でなおすことになる。
理念が変われば辞めるしかないと思ったが、引継ぎのこともあり残っていたが、
ずるずると、平のホームヘルパーとして残ってしまった。

 

難病は、自分にあった治療方法を見つけて治ったけれど、
心の状態は変わらず、ふさぎこんだままであったが、
職場のいさかいを契機に、新型コロナが始まった年に、職場を辞めることにした。

 

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