今月中に役員に虐待について提言することになっている。
提言というのはおおげさであるが、どこで支援者が利用者にカリカリくるか、どういう風にしたら良いかという報告。
一般的なものでもなく、だれの支援にもあてはまるかはわからない。
パートのじじいがまた変なことを言っているという扱いかもしれぬが、とにかく情報は伝えておきたいという気持ちだ。

 

 

本音を言ったら叱られる、嘲笑される。だから、だまっておくという特性

 

利用者のニーズによって、支援計画を立てないといけないが、その前提になるニーズがつかめないので支援者は苦しくなる。
また、仮にニーズを話しても、本音からの行動や言動ではなく、世間体に合わせている場合や、恐ろしく思っている人の言いなりになっている場合も多い。
それも踏まえて、本人の話を聞く。否定的な態度は、支援者はあらわしてはいけない。

 

「こわい」支援者に合わせて、発言自体が歪んでしまうことにもなりかねない。
その発言が歪んでしまうことへの怒りをもつのではなく、歪ませてしまった支援者の態度をなんどとなく反省すること。
しまいに利用者が行動の正解を探るようになってしまう。

 

人間の生活にそもそも正解などない。どういう選択があっても良いのだ。

 

意外に身近な支援者の言うことを聞かない。

 

ここが一番悲しいところで一番身近な支援者が孤独なところに追いやられる。
たいして、支援者がいくら提案しても無視、つきあいの薄い大学の先生の言葉を丸のみをされることも多い。
さらに追い打ちをかけるように、周りの人たちに、利用者があなたを信用していない。
あなたに問題があると批判され、さらに孤立させられる。

 

1対1の関係ではなく、別の支援者と共通理解して、他の人に言ってもらうようにする。いわゆる分業である。
利用者一人に対して、一度に多数の支援者で説得することではない。(これは集団的威圧で虐待)
支援者が自分一人だけで解決しようと思わないこと。

 

また、理屈で本人を納得させるということでなく、自分が困っているのでお願いするという論理で、納得されることも多い。

 

どうでもいい理屈の話で論争になりやすい。

 

利用者には指導的優位にたたないと思う支援者の人が多々いると思う。そして意地をはって論争に勝とうとする。
しかし、どうでもいいことで、利用者からふっかけられた論争に負けようが支援者の立場が危うくなるわけではない。
また理屈に話が多くなるのは、障がいの特性なので、それ自体を問題にしない。

 

だけど、本人の理屈やこだわりで本人が損をすることが多々ある。

 

こだわりや理屈が邪魔をして、本当にやりたいことができないということもあるが、想像力がなく見通せない場合も多く、こうしたらこうなりますけどそれでいいですか?などと投げかける。

 

支援者の気持ちは伝えていけないか

 

支援者も人間なので、孤独感にさいなまれるし、悲しかったり怒ったりの感情も生まれる。
それを利用者には絶対に伝えてはいけない、支援者はいつも冷静沈着で傾聴してみたいな話がテキストによく書かれてある。

 

かんしゃくをおこして、利用者に怒った顔を見せてはいけないのは当然だ。
しかし、私は、それを言われたら、自分も心が傷つくし腹も立つという話を、
できるだけ言語化して伝えていく努力は、平等な人間関係を築いていくために必要だと思う。

 

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