
トルマリンと同じく、10月の誕生石であるオパール(opal)の意味や伝説についてまとめてみました。
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オパールのプロフィール
オパールの語源
「貴石」の代名詞であったラテン語のopalus(オパルス)に由来します。
また、サンスクリット語で「宝石」を意味する『Upala』や、ギリシャ語で目を意味する『Opthlmus』から由来するとも言われています。
日本語では、「蛋白石」
日本語では、オパールは「蛋白石」とも呼ばれます。これは、中国にならったものです。卵の白身に似ているから、この名が付いたと思われます。
オパールは、乳白色のホワイトパールがもっとも産出されるので、乳白色のイメージが強いですが、実は、赤や黄色あるいは緑色やブルー、黒色や灰色を地色のブラックオパールなど様々な色があります。
オパールは乾燥するとひび割れる
オパールは、ゼリー状の珪酸溶液が岩石中の空所に集まり固まってできた宝石です。多くの宝石が結晶であるのに対して非晶質であり、数パーセントの水分を含んでいます。
このため、乾燥するとひび割れができます。
遊色効果(プレイオフカラー)
そして、他の宝石にはない遊色効果(ゆうしょくこうか)という不思議な色の輝きを発するものがあります。
オパールには、万華鏡のようにきらびやかな文様を見せてくれるプレシャスオパール(遊色効果を持つもの)と遊色効果を持たないコモンオパール、そして、色があっても不透明なオパライトに分類されます。
- プレシャスオパール
- コモンオパール
- オパライト
オパールの産地
1887年にオーストラリアで発見されるまではスロバキアが主な産地でしたが、現在はオーストラリアやメキシコが主な産地です。
2011年頃からはエチオピア産のオパールも見られるようになりました。
メキシコ産オパールの指輪

オパールの意味 【石言葉】
オパールの石言葉
古代ローマ人には「愛と希望」を象徴するものと信じられてきました。
現代のオパールの石言葉は、
希望 無邪気 克己
です。
これは、諸説あるので、主なものだけ書きました。
希望
虹の色に輝くことから希望を意味し、幸せを招く「神の石」として、古代から珍重されてきました。
無邪気
4世紀のオルフェウスのギリシャ詩『リティカ』には、「美しいオパッリオス(オパールのこと)は女神たちを喜ばせる。
それは『愛らしい子供』のような優美な肌を持っているし、目を癒すためにつくられた」とあります。
また、古代アイスランドの詩集『古エッダ』にヴォ―レンドルという火と鍛冶の神が、子供の目で「ヤルカスティン」という聖なる石を創ったという話があります。
後代に童話作家のグリムが「ヤルカスティンというのは、丸く乳白色のオパールを意味する」と言っていることから、子供たちの瞳の中に真実や夢などの美しいものを見ることができるという考えがあったのではないかと思われています。
純真な子供の瞳、肌を想起させるので、無邪気な石言葉につながっているのでしょう。
克己
オパールの多彩な輝きが内なる葛藤や感情を昇華させる象徴と考えられ、自己を律し、困難を乗り越える力を秘めた石と信じられています。
つまり、オパールは、困難な状況に直面しているときにも、希望の光を見出す助けになるそいうことです。
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オパールの伝説
命よりも大切にされたオパール 古代ローマの伝説
古代ローマ時代の本、プリニウス『博物誌」にオパールの伝説が書かれています。
登場人物は、クレオパトラとの熱愛で有名なアントニウスと元老院議官のノニウスです。

ローマの元老院議官のノニウスは、ハシバミの実(ヘーゼルナッツとも呼ばれるどんぐり型の実)ほどの大きさのオパールを所有していました。
この大きなオパールは当時のお金にして200万セステルティウスと評価されていました。
この値段には、ピンときませんが、無茶苦茶高かったと思われます。
アントニウスは、ノニウスにオパールを譲ってほしいとお願いしました。
アントニウスがクレオパトラに贈るためにどうしても必要だったのです。
しかし、ノニウスは相手が誰であろうが、譲る気は全くありませんでした。そのことで、ノニウスは、アントニウスに追放されてしまいます。
そういう仕打ちを受けても、ノニウスは全財産のほとんどをほっておいても、そのオパールの指輪だけは離さず、ローマを去ったのです。
プリニウスは、「オパールを持って逃げたノニウスも怖れを知らぬ頑固ものである。動物だって自分に危険が襲ってきたら、体の一部を引き裂いてでも、そこに残して逃げるというではないか、自分たちはそう信じてきた。」と驚愕しています。
プリニウスは著書の中で、「このオパールは最も貴重な宝石の素晴らしい性質を全て併せ持っていて、それは他の宝石よりも優れている。」
「カーバンクルよりやわらかい焔(ほのお)とアメシストの紫色の輝き、エメラルドの海のような緑色が絶妙に調和していて、その新鮮な色はアルメニウムとして知られる絵具に似ている」と言うように、絶賛しています。
※ カーバンクル(Carbuncle)・・・ 赤い宝石の総称。
ローマ時代においても、オパールの遊色効果(プレイオフカラー)が人々を魅了していたのでした。
オパールの町 クーバー・ぺディの伝説
現在、オパールの産地として有名なのは、なんといってもオーストラリアのクーバーぺディ(Coober Pedy)です。
ヴィクトリア砂漠の東端に位置する人口約2,500人の町ですが、世界最大のオパールの産地で、世界のオパールの約85%がここから発掘されています。

この場所で、最初にオパールが発見されたのは、1915年のことです。父親と共に金鉱を探してやってきた少年が偶然に発見したとか。
それから、本格的にオパールの発掘が行われるのは、復員軍人たちがオーストラリアに新天地を求めてやってくるようになってからのことです。
しかし、クーバーぺディの場所は、酷暑と乾燥の砂漠です。
第一次世界大戦中に戦場における塹壕堀りの経験を生かして、「ダグアウト」として知られる涼しい地下の住居に寝泊まりをするというアイデアを導入したと考えられています。
この地下の住居は、どんなに厳しい気候でも、一年を通して昼夜を問わず19℃~25℃の快適な温度を保っているそうです。
また、地下住居だけではなくオパールの採掘のためにも、白人たちはいたるところに穴を掘りました。
これを見たオーストラリアの先住民アボリジニの言葉で「白人が潜る穴(kupa piti)」と呼んだのが、クーバーぺディという町の名前になりました。(参考サイト Wikipedia Coober Pedy )
先住民であるアボリジニの伝説には、また別のお話があります。
昔ある狩人が、ユーカリの木の下で昼寝をしていました。
彼は、夢の中で、1頭の輝くカンガルーを追いかけ、紅い丘の上で槍でしとめると焚き火で、その肉をあぶって食べました。
それから、食べ残しの肉を土に埋めて、目印に槍を立てたところで、夢から目覚めたのです。
さて、あいかわらず空腹だったので、夢の中に見た埋めた肉を求めて歩き出しました。
すると、不思議なことに、槍を立てたとそっくりの丘を見つけたのです。
そこで穴を掘って肉の残りを探しましたが、見つかったのは肉ではなくて、七色に光る美しい石でした。
石では食べれないので、彼はその石を白人に売り、そのお金で肉を買いました。
そして、この時から、オパール・フィーバーが始まったということです。
参考文献
- 『指輪が語る宝石歴史図鑑』 諏訪恭一 著 中村淳 写真世界文化社
- 『宝石ことば』 山中茉莉 著 八坂書房
- 『パワーストーン 宝石の伝説と魔法の力』 草野巧 著 新紀元文庫
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