サファイアの指輪

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サファイアのプロフィール
サファイアの由来
サファイアの名前は、ギリシャ語の青色を意味するサフェイロス(sappheiros)が、由来とされています。ラテン語でも「sapphirus」(青色)と訳され、古代から青色の宝石一般を指す言葉として使われていました.
つまり、古代ではラピスラズリやヒアシンス石とも混同されていました。また、別の説では、サンスクリット語の「sauriratna(サターンの石)」からきた言葉ともされています。
サファイアは、ルビーと同じコランダム(鋼玉)
サファイアとルビーは、色の違いによって区別されています。赤色の宝石がルビーで、赤色以外の色総てがサファイアと呼ばれています。(ルビーの説明は、【7月の誕生石 ルビー】 その意味と伝説 )
サファイアは、中世ヨーロッパでは聖職者にふさわしい宝石
サファイアの石を身につけていると、よこしまな考えや色欲を消すことができると信じられ、僧侶や永久の平和を望むものがつけるのにふさわしいと考えられてきました。逆に不義や好色な人がつけると、色が変わってしまうとも思われてきました。
そして、サファイアの清く澄んだ青色が、聖パウロの象徴になり、聖職者の指輪や、宗教上の儀式に用いられるようになりました。
サファイアはインドでは土星の宝石とされてきた
ヒンズー教の占星術では、土星の影響を受けているので、土星神シャニの恩恵を受けると信じられてきました。シャニは、冥界に関わる人の運命を左右する神です。
それゆえ、土星は人間に不幸をもたらす不吉な星とされてきましたが、青いサファイアをもつことで土星のもたらす不幸をさけそれを好ましいものに変えると信じられるようになりました。
サファイアは、中世ヨーロッパでは、眼の石とも言われた
サファイアの粉末を膏薬にすると、眼の炎症を治すだけでなく、眼に入った異物を出すのに役立つと考えられていました。
サファイアは、薬になると考えられていた
インドでは、サファイアの粉末は、風邪や憂鬱症状よく効くと考えられていました。エジプトでは、サファイアの練り薬といっしょに服用することで体力が高まるとされていました。
中世ヨーロッパでも、サファイアを漬けた酢は、熱病を治し、サファイアの粉末を1カ月間酢に漬けておくと、夫婦愛を深める薬になると考えられていました。
サファイアは浮気を見破る石
サファイアを身につけていると不貞や姦通を見破るという俗信は、4世紀頃ありましたが、18世紀に、フランスを中心に妻や恋人の浮気や貞操をサファイアで判定するのが流行しました。
18世紀には、フランスの作家が、そのことを『不思議なサファイア』という小説にしています。
パパラッチャ・サファイア
「パパラッチャ」は、サンスクリット語で「蓮の花」を意味する。

サファイアの意味
サファイアの石言葉
サファイアの石言葉は、
徳望 誠実 貞操
です。
徳望
「徳望」とは、徳が高く、つまり道徳的に優れており、人々に尊敬・信頼されることです。サファイアは、高い人格や道徳心を象徴し、「徳望」を高める石とされています。
サファイアは、周囲からの尊敬や信頼を集める力を持ち、リーダーや指導的立場の人にふさわしい品格を引き出すと信じられています。
誠実
サファイアは、中世ヨーロッパで聖職者がつけていたこともあり、嘘や偽りを嫌い、心の正しさを保つとされる宝石です。
「誠実」の象徴として、真心を持った行動を後押しし、信頼関係を築くための強い味方とされています。
貞操
サファイアは4世紀ごろから、純潔と節度を守る象徴の宝石とされてきました。
そして、「貞操」の誓いの証として用いられてきました。
恋愛や結婚における深い愛と忠誠心を表し、心の純粋さを守るといわれています。
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サファイアの伝説
探検家バートンと幸運を招くスター・サファイア
スター・サファイア

カボションカットされた時、光を与えるとインクルージョン(含有物)によって丸い部分の中心に6条の線がでるものがあります。これは「スター・サファイア」と呼ばれます。
このように、内部に光が走っている石は、東洋において、強い魔除けになると同時に、特別な幸運をもたらす神秘の石と信じられてきました。
それが東洋でどれほど重要とされてきたかを、19世紀のイギリスの探検家リチャード・フランシス・バートンの本からうかがい知ることができます。
バートンが、東洋を旅していた頃の話です。バートンは、護身符として大きなスター・サファイアを持っていたのですが、それがとてつもなく美しいという評判が、どんな奥地であっても知れ渡っていたのです。
そこの土地の人は、バートンが到着するのを待ち構え、彼のために様々な便宜を図り、良い馬も与えてくれたといいます。
しかも、驚くことにその見返りとして人々が求めたのは、一目で良いからそのスター・サファイアを見せてもらいたいということだけでした。
人々は、すばらしいスター・サファイアを見るだけで、特別な幸運が得られると信じていたからです。
そのようなわけで、バートンはスター・サファイアを持っているだけで、災難に被ることもなく、旅に必要なものはすぐ手に入れることができたというのです。
インド神話のシャニにささげられた心眼の石サファイア
ガネーシャの神

インドで商売と知恵の神であるガネーシャにまつわる神話です。ガネーシャは、象の頭をもつ神様で、シヴァ神(ヒンドゥー教三大神の一神)とパールヴァティーとの間に生まれた神様です。
神々がガネーシャの誕生をお祝いにやってきました。しかし、シャニ(土星の神)だけは、下を向いたまま誰の顔も見ようとはしませんでした。
パールヴァティーは、ガネーシャを抱き上げると、「そんなに目をそらさないで、この子を抱いてやってください。」とシャニに抱かせます。
シャニは、ガネーシャを抱きかかえますが、目はそらしたままでした。
実は、シャニは妻の嫉妬で呪いをかけられていました。シャニと目が合ったものには不幸をもたらすようにしていたのです。浮気封じの呪いです。
ところが、シャニに抱かれたガネーシャは、うれしそうに愛くるしい声を立てて笑い出したのです。
たまらなくなったシャニは、ガネーシャの顔を覗き込んでしまいました。すると、ガネーシャの首はちぎれて灰になってしまったのです。
そこで、象の首をつけてガネーシャの頭は蘇生させたのです。
※ガネーシャがゾウの頭をもつにいたったこの話は、『ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナ』に書かれていますが、『シヴァ・プラーナ』ではシャニではなく父のシヴァ神が首を切り落としたとしています。
シャニが不幸をもたらす神として恐れられていたことを伺わせるこの伝説は、女性の嫉妬の怖さを視力にかけられた呪いで表現しています。
同時に、この呪いや嫉妬を避けるためにサファイアをシャニに捧げたという伝承から、サファイヤが浮気を見破る石、視力(心眼)増強の石として、アラビアやローマに伝わっていったのです。
皇帝の石 サファイアを手放して没落したナポレオン
皇帝の石とは?

「皇帝の石」と呼ばれる特別なサファイアは、持つ者を世界の征服者に導くという伝説からその名がつけられました。※「シャルルマーニュの護符」とも呼ばれています。(Wikipedia シャルルマーニュの護符)
この宝石は、アッバース朝のカリフ、ハールーン・アッラシードがフランク王カール大帝(シャルルマーニュ大帝)に贈ったものと伝えられています。
丸型の大きなサファイアは、エメラルド、ガーネット、真珠で飾られた金の枠にはめこまれ、まさに王者の象徴でした。
さて、カール大帝は、カロリング朝を打ち立てたピピン3世の息子で、53回もの遠征を重ねてフランク王国を拡大し、神聖ローマ帝国を誕生させた人物です。
彼は786年にアーヘンの宮殿教会として大聖堂の建設を始め、7年の歳月をかけて完成させました。814年に亡くなると、自ら建立したその大聖堂に葬られました。
そのアーヘン大聖堂には、歴史的な聖遺物が多く残されています。中でも、カール大帝が守護石として身につけたとされるサファイア――すなわち「皇帝の石」は、最も神聖な宝とされていました。
皇后ジョセフィーヌが「皇帝の石」を手に入れる
ナポレオン一世の皇后ジョセフィーヌが初めてこの石を目にしたのは、1804年、アーヘンの湧水を求めて都を訪れたときのことでした。
そのわずか3か月前、ナポレオンは国民投票によって皇帝に即位したばかりでした。
当時、カール大帝が大聖堂建設を始めてからちょうど千年の節目を迎えており、ヨーロッパ各地ではその偉業を称える気運が高まっていました。
ジョセフィーヌの参拝に敬意を表し、大聖堂の職員たちは特別に「皇帝の石」を披露しました。
彼女はそれを見るなり「これで結構よ」とうなずいたといいます。
その言葉に職員たちは驚きました。というのも、ナポレオンがドイツを征服した際、寺院側は聖遺物の中から何かを献上する約束をしていたからです。
結局、ナポレオンの命令で「皇帝の石」はフランスへと渡ることになりました。
しかしナポレオンは、自らの護符にするどころか、あっさりとジョセフィーヌに譲ってしまったのです。
妻や恋人の浮気をサファイアで判定する風習

では、なぜナポレオンは彼女に譲ったのでしょうか。
その理由の一つに、「浮気封じ」の意味があったのではないかといわれています。
当時のフランスでは、サファイアで妻や恋人の浮気や貞操を見破るという風習が流行していたのです。
古代インドでは、嫉妬を鎮めるためにサファイアをシャニ神へ捧げる風習がありました。こうした信仰がヨーロッパに伝わり、サファイアが「浮気を封じる石」として受け入れられたのでしょう。
ナポレオンがジョセフィーヌに求婚した当時、彼はまだ若い軍人にすぎませんでした。
一方のジョセフィーヌは、革命で夫を失い、二人の子を抱えながら生活に困窮していました。
ナポレオンの求婚を受け入れたのも、愛情というより生活のためだったといわれます。
結婚後も彼女は6歳年下のナポレオンを軽んじ、浮気を重ねては彼を苦しめました。
それでもナポレオンは彼女を深く愛し、ついには皇帝の座を手にしたのです。
サファイアは古来より、煩悩を鎮める「聖なる宝石」ともされてきました。
ジョセフィーヌにサファイアを贈ったのは、愛する妻の心を鎮め、信頼を取り戻したいという願いが込められていたのかもしれません。
皇后の位を放棄したジョセフィーヌと没落するナポレオン
「皇帝の石」を手にしたジョセフィーヌは、人が変わったように夫を支えるようになり、洗練された社交術で多くの人脈を築きました。その姿は「皇帝の守護天使」と称えられるほどでした。
しかし今度は、逆にナポレオンが愛人をつくるようになります。
やがて愛人との間に子が生まれると、子を授からなかったジョセフィーヌは深く傷つき、宮廷での立場を失っていきました。
そしてついに、ナポレオンが22歳年下のマリー・ルイーズ(ハプスブルク家)と再婚することが決まります。
ジョセフィーヌは、離婚こそが夫への最後の愛の証と考え、自ら皇后の位を放棄しました。
「皇帝の石」を手にしてから6年後の1810年のことです。
翌年、マリー・ルイーズとの間に皇太子が誕生し、ナポレオンは彼を「ローマ王」と命じました。
あのカール大帝と同じ称号を得たことで、彼は満足したといいます。
しかし、ナポレオンの栄華は長く続きませんでした。
ロシア遠征の失敗を経て、ナポレオンはエルバ島へ流されます。
脱出して一時的に皇帝に返り咲くも、ワーテルローの戦いで敗北し、最終的にセントヘレナ島で孤独な最期を迎えました。
一方のマリー・ルイーズは、夫が流刑になるや否やオーストリアへ帰国してしまいました。
ナポレオン3世に引き継がれた「皇帝の石」
人々の間では、「ナポレオンが没落したのは、皇帝の石を手放したからだ」と噂されました。
一方、ジョセフィーヌは「棄てられた女」として同情を集め、敵国の指導者たちからも敬意をもって迎えられました。
彼女の館マルメゾンは、やがて各国の貴族やロシア皇帝までも訪れるサロンとして名声を高めます。
ジョセフィーヌは穏やかに余生を送り、51歳で静かに世を去りました。
その後、「皇帝の石」は娘のオルタンス姫(ナポレオンの弟ルイの妃)を経て、その子ナポレオン3世(ルイ・ナポレオン)に受け継がれます。
ナポレオン3世は1852年に皇帝に即位し、第二帝政を開始しました。
皇后ウジェニーは出産の際、この「皇帝の石」をお守りとして強く握りしめていたと伝えられています。
やがてボナパルト家が再び崩壊すると、ウジェニーは「皇帝の石」をフランス東北部ランスの大聖堂へ奉納しました。
こうして、世界を動かした伝説のサファイアは、再び神のもとへ帰っていったのです。
参考文献
- 『宝石ことば』 山中茉莉 著 八坂書房
- 『パワーストーン 宝石の伝説と魔法の力』 草野 巧 著 新紀元文庫
- 『宝石の歴史』パトリック・ヴォワイヨ 著 ヒコ・みづの 監修 遠藤ゆかり 訳者 創元社
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