
母が病院で亡くなって、ちょうど1年が経ちました。
49日の法要は、親族が集まり、お坊さんに読経してもらい会食し、普通の法要を行いました。あの頃は、「go to トラベル」も始まり、感染状況も田舎の町なのでほとんど感染者数ゼロだったと思います。
しかし、新型コロナのデルタ株の猛威も始まりまして、田舎の町もたくさん感染者がでました。そして親族が一堂に会してということが、全く無くなりました。
集まる親族は、ワクチン接種をほとんど打ち終えていたのかもしれませんが、初盆の法要も、兄夫婦がお寺に参ってお坊さんに読経してもらう形になりました。
今回もお寺さんで拝んでもらうか、親族が集まらないでお坊さんを呼んでやると聞きました。
だから、一同会することないので、個別に実家に帰ってお墓や仏壇に向かって、拝むしかありません。
普段の法要のことを、一人でやる
私の実家は、兄夫婦がお墓を守っています。もしも、私が一人っ子でお墓を守っているのでしたら、私一人でお寺で読経してもらうか、家にお坊さんに呼んで一人でいっしょに読経してもらうことになったのでしょう。
親戚が集まってすることもないので平服で良いのかもしれませんが、私は喪服を着て実家に帰りました。
お坊さんの読経はないけれど、1周忌なので、きちんとした方が良いと私は考えました。
まずは、お墓まいりをします。
うちの家のお墓は、急な坂の小山の上にあります。高齢になったら、そこまで登っていくことにも大変だろうと思います。今は、私も元気なので、タッタカ登っていけますが、足腰が弱くなったら、それもかなわないでしょう。
昔は、墓がいくつもあったのですが、父が寄せ墓にして、大きな新しめの墓です。父は、七代目でしたが、元々どういう家なのか、親族に聞いてもよくわかりません。
農業が主でしたが、型枠大工の現金仕事をして、貧乏な家なのに大学まで出してもらい、いまさらながら、申し訳ない気持ちになります。母には、自分が物ごころついた時から病弱で(小児喘息)、いろいろな病院や祈祷に連れていってもらい、迷惑をかけてばかりいました。
お墓参りすると、小さな頃のことばかり思い出されます。自分は一緒に住んでないから、そうなのかもしれないけれど・・・。
仏壇を拝む
実家に帰り、次は仏壇を拝みます。
たいへん下世話な話ですが、いくら御仏前に包むか、いつも悩みます。
49日には、喪主の兄に相談して包みました。
相場の本に書いてある金額を包むとたいがい、「そんなに多く包まなくてもいいよ。」と言われるけれど、相場の本通り包みました。 田舎の相場と、ネットや本に書かれている相場が違うのです。
年をとると冠婚葬祭のことが詳しくなるというけれど、何年経っても、何が正しいのか、はっきりわかりません。
コロナ禍の葬儀は、葬儀会社がこうするべきとガイドラインを示してくれるので、それに従ってやっておればいいわけですが、個々の心のこもった法要とはなんぞやと私に聞かれても、答えに困る。
それも「作法」とかよりも、たぶん「心づくし」が一番なんでしょう。
母の亡くなるまでの10年を想う
母は、95才で亡くなりました。年齢だけ知れば、長生きできて良かったのだと思います。
しかし、亡くなるまでの約10年間を想うとそうともいいきれない感情がこみあげます。
母が体調を崩したのが、自分がFC2 ブログを始めるよりもちょっと前なので、たぶん2012年頃だったと思います。自分もその頃、難病だったけれど、母が体調悪くなったストレスで、私自身の病気のコントロールが効かなくなってしまいました。(その後、テレビで自分にあったケアを見つけて治癒に至りました。)
初めは病院で、偽痛風との診断を受けたけれど、あの診断は正しかったのかどうか?・・・。偽痛風そのものは予後の良い病気と聞いていましたが、その後、ADLが段々低下、精神不安は増大・・・、薬もたくさん増えて要介護状態が、毎年シフトダウンするのは本人は当然ですが、側で見ていても辛いものです。
義姉は、「レビー小体型認知症」だろうというけれど、正式な診断名はもらったかどうか・・・。
あれから、9年かけて病院や保健施設を転々として、コロナ渦の中亡くなりました。
保健施設に入っていた時は、新型コロナ感染予防から面会禁止でしたが、入院しため、亡くなる前に何度も会うことができました。
しかし、自分が会っても、喜ぶわけではないです。面会したら、すぐに「帰れ!」と言われる、そんな病気なので仕方ありません。しかし、親の爪を切るようになったら、その時間だけは自分は居れる状態になりました。
私は、人生の最後になんでこんなに苦しまないといけないのか、母がかわいそうに思いました。健康で人生を全うできれば、もっと幸せだったのだろうになあと今でも思います。
母の分もがんばって精一杯生きるのが恩返し
せっかく母に生んでもらって始まった人生です。
今は、一日一日生きるのに精いっぱいですが、
がんばってやりたいことを実現し、充実した生活を積み重ねていくことが、母に産んでもらったことへの一番の恩返しになると思います。
とにかく、がんばります。
【追伸】 月末に お坊さんが実家に来て読経されることになりました。主だった親族だけで読経してもらうことになります。また実家に帰ります。
※ コロナ禍が終わっても、葬式・法事のやりかたは、コロナ禍と同じような形を踏襲されているようです。(2025年8月25日記)