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【7月の誕生石 カーネリアン】意味と伝説

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カーネリアンは、日本の誕生石ではありませんが、イギリスやフランスでは7月の誕生石です。

玉髄(カルセドニー)の一種で、均質な橙色や赤橙色をしている宝石ですが、古代メソポタミアや古代エジプトから、多数発掘されている、たいへん歴史の古い石なのです。



カーネリアン(紅玉髄)のプロフィール

カーネリアンの由来

カーネリアン(carnelian)は、別名コーネリアン(cornelian)とも言われます。和名は、紅玉髄べにぎょくずい

「肉」を意味するラテン語「carnis」、またはラテン語で「心臓」を意味する「cor」に由来するとも言われています。

あるいは、カーネリアンの発見地「carien」に由来するという説もあり、諸説あります。

カーネリアンはカルセドニー(玉髄)の一種

カーネリアンは、石英の一族であるカルセドニー(玉髄)のグループで、色によって、このような区別があります。

  • カーネリアン・・・橙色~赤橙色
  • ホワイト・カルセドニー・・・白色。
  • ブルー・カルセドニー・・・青色。
  • クリソプレーズ・・・青リンゴのような緑色。緑玉髄。
  • 狭義のカルセドニー・・・青みがかった灰色やラベンダー色

古代エジプトでは、亡き者の魂を守る護符

『死者の書』には、亡き者の魂を守る護符として「スカラベ(聖なる甲虫)」胸に置く儀式が記されています。

そのスカラベは、カーネリアンやラピス・ラズリなどで作られました。

イスラム教におけるカーネリアンの聖なる指輪

イスラム教の世界では、カーネリアンンは神聖な石として護身符に利用されていました。

これは、イマーム(イスラム教徒の宗教的元首)が、常に右手の小指にカーネリアンの指輪を嵌めていたことが影響しています。

ジャファルがィマールの時には、この石を愛用し、「この石を携える者は願い事がかなえられる」と言ったことで、さらに人気を博し、カーネリアンの石が神聖視されたと言われています。

古代ユダヤ人の神聖な石 カーネリアン

『旧約聖書』「出エジプト記」のなかで、高僧が身につけなければならないとされている胸当て、十二個の宝石が対応していました。

十二という数は、ユダヤの十二部族に対応し、それぞれの宝石がひとつの部族に対応していたと言われます。

また『新約聖書』「ヨハネの黙示録」に語られるエルサレムの12種類の城壁の土台石にもカーネリアンが選ばれています。

カーネリアンは怒りを抑え、出血を止める効果をもつ

11世紀にラテン語で書かれたマルボドゥス『石について』 には、カーネリアン(この本ではコルネリウス)は、口論の際に、怒りを鎮めたり、体から流れる血を止める力があると書かれました。

コルネリウス

コルネリルスという石について語ってもいいだろう。 この石は暗い色をしていると思われているが、 侮りがたい、天来の力があると信じられている。

この石を指にはめたり、首にかけたりすると、 口論の際に嵩じる怒りを鎮める。

血がしたたる肉のように見えるこの石は、 どこからであろうと、体から流れ出る血を止める、 ことに、婦人が月経過多を患っている場合には。

マルボドゥス「石について」髙橋邦彦 (翻訳) Kindle版



カーネリアンの石言葉

カーネリアンの石言葉は、

①思いやり  ②堅忍不屈けんにんふくつ  ③剛毅

です。

①思いやり

カーネリアンの温かな赤橙色は、人の心に勇気と優しさをもたらすといわれます。

その穏やかなエネルギーは、他者への共感や思いやりの心を育て、良好な人間関係を築く助けとなります。

怒りや嫉妬を鎮め、調和をもたらす石とされているのです。

②堅忍不屈けんにんふくつ

堅忍不屈けんにんふくつとは、「辛抱強く耐え忍ぶ」という意味です。

古代ローマの戦士たちが身につけたカーネリアンは、困難に立ち向かう強さを象徴します。

忍耐と努力を重ねて、逆境に屈しない精神力を与える石とされています。

挫折しても諦めず、目標に向かって進み続ける勇気を支えると信じられています。

③剛毅ごうき

剛毅ごうきとは、「意志が強固で不屈なこと」を意味します。

カーネリアンは、信念を貫く力を宿す石とされます。

迷いや恐れを払って、心を強く保つことが、自らの信条や正義を貫く助けとなります。

その凛としたエネルギーは、強い意志と行動力を呼び覚まし、確固たる決断へと導きます。



カーネリアンの伝説

ボナパルト家に受け継がれていくナポレオンの印章

ダヴィッド『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』

豪華な宝石を身にまとい、妻や愛人に惜しげもなく高価な宝石を送るナポレオンだけに、安価でありふれたカーネリアンの印章を護符していたというのは意外な感じがします。

※ 印章は、木、石、象牙などの素材に文字やシンボルを彫刻し、公私の文書に押して責任や権威を証明するために使われる道具のことです。

このナポレオンの印章は、「ハンコとしての実用性」を示すものではなく、「護符としての信仰」や「身分の象徴」を兼ね備えた非常に重要なアイテムだったのです。

なぜ、ナポレオンの印章が安価なカーネリアンで作られたのでしょうかか?

ナポレオンは、有能な軍人であるだけなく、たいへんな読書家でした。

13世紀に書かれたカスティーリャ王アルフォンソ10世の『宝石誌』には、カーネリアンを身に付けると雄弁になり、勇敢で恐れを知らなくなると、あります。

特にカーネリアンにアラビア語で聖なる言葉を刻むと、邪悪な企みや嫉妬から身を守るとされていました。

このような書物にナポレオンは、ひらめいて自らの印章をカーネリアンで作らせたと考えられています。

そのナポレオンの印章は、八角形で、印面には「僕(しもべ)アブラハムは慈悲深き神に身をゆだねる」という銘がアラビア文字が刻まれており、エジプト遠征中も片時も手放すことはなかったそうです。

この印章は、先妻ジョセフィーヌの連れ子(ナポレオンの義娘)であるオルタンス姫に与えられ、さらにその三番目の子供であるナポレオン3世に引き継がれます。

第二帝政を樹立したナポレオン3世は、1世同様にこの印章を大切に扱い、時計の鎖に付け、終生護符として愛用しました。

1870年普仏戦争が起こり、彼の一家は、イギリスに亡命することになります。

彼は、息子のナポレオン・ウジェーヌ・ルイに、この印章を護符とするよう遺言を残し亡くなりました。

息子は、父の遺言通り、ひもをつけてネックレスにして印章をいつも首にかけていたそうです。

亡命先のヴィクトリア女王は悲運の皇太子ウジェーヌ・ルイを大切にしました。彼をルルと愛称で呼び可愛がり、末娘ベアトリス王女との婚約の話も持ち上がるほどでした。

しかし、1878年にズールー戦争が起きますと、女王への恩義を返したいと思いイギリス軍に志願すると、1879年、6月9日ズールー族の襲撃を受けて戦死してしまいました。

ナポレオン1世から受け継いできた印章は、ズールー族によって戦利品として持ち去られ、奪還されることはありませんでした。

(参考文献 ジョージ・フレデリック・クンツ著 (鏡リュウジ監訳) 『図説宝石と鉱物の文化誌』 原書房)

参考文献

  • 『宝石ことば』    山中茉莉 著 八坂書房
  • 『パワーストーン 宝石の伝説と魔法の力』 草野 巧 著 新紀元文庫
  • ジョージ・フレデリック・クンツ著(鏡リュウジ監訳) 『図説宝石と鉱物の文化誌』 原書房

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